異世界に行けなかった俺の半生。第1話 壊れた夜の匂い

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俺は異世界に行けなかった。
でも、この世界で、生き直すしかなかった。

これは、ごく平凡な人間が、
どん底から人生の転機を掴むまでの記録。

――もし、あなたも今、
静かに息が詰まっているなら、
この話を読んでほしい。

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壊れた夜の始まり

終業式の夜だった。
通知表の成績が下がった──それだけで、母親の怒りが爆発した。

次の瞬間、手に持っていた1メートルほどの裁縫用L字定規が振り下ろされた。

バチィッ!
空気を裂く音が部屋中に響く。
一発二発じゃない。
それはまさに「リンチ」だった。

「すいませんでした!
 許してください!
 許してください!」

叫んでも、泣いても、母親の手が止まる気配はない。

もう何十回叩かれたのだろう。
頬が焼けるように熱い。
背中が火のように痛い。
みみず腫れが浮かび、そこから血がにじむ。
服が肌に張りつく。

頭の中が恐怖で真っ白になった。

「殺される」

その言葉だけが、頭の中を支配した。

俺は逃げた。
母親から。
そして、この壊れた家から。

夏期講習代の封筒──十万円が入っていた。
それを掴んで、玄関を飛び出した。

痛みで熱を持った体に、夜風が突き刺さった。
それでも、俺は生きていた。

こうして俺は、そのまま2週間家出したんだ。

夜の外に出て、息をした

俺の名前は、あっちけい。
どこにでもいる、ごく普通の人間だ。
……と、最近まで思ってた。

けど気づけば、普通なんて言葉とは、だいぶ遠いところに立ってた。

まさに波瀾万丈。
だが、それは俺が望んだわけじゃない。

いるんだよ。
現実に、こんな奴が。

これは、俺が“異世界に行けなかった”話。
異世界に行けたら、どんなに楽だったか。

俺にとって現実は――
異世界よりも、ずっと厳しい世界だった。


東京都武蔵野市で生まれ、千葉県で育った俺は、小さい頃からスポーツも勉強もそこそこできた。

小学6年の時なんかは、バレンタインにチョコを23個も貰った。
学校でもそれなりにモテた。はず。

加入していた少年野球チームでは、もちろんレギュラー。
クリーンナップの5番で、ポジションはファースト。
得点圏では、みんなの期待に応える長距離スラッガーだった。

俺が住んでいたのは、千葉県のいわゆる団地。
当時は本当に多くの人が住んでいたし、同世代を含めた子供も多かった。

悪いことをすれば、近所の大人にも叱られた。
まあ、よくある昭和後期の少年時代を送っていたんだ。

中学に上がると、両親が隣町に戸建ての家を買った。
団塊世代、夢のマイホームってやつだ。

小学生時代を過ごした町から、そう遠く離れているわけでもなかったので、何の抵抗もなく引っ越しは決まった。

今思えば、引っ越さずそのまま進学していればよかったのかもしれない。
その時は広い家、自分の部屋、ペットが飼える!
なんて、家族みんなで喜んでいたんだ。

隣町の中学に進学した後も、学校の成績は引き続き好調。
新しい友達も少しずつ増えていき、新しい町にも慣れてきた。

家でも学校でも塾でも必死に勉強を続け、ピーク時には全国模試で偏差値72を叩き出した。

勉強の方は絶好調!
しかし、入部した野球部では活躍できず背番号をもらえないどころか、試合にすら出してもらえない日々が続いた。

来る日も来る日も坂道ダッシュ。
やるのは基礎体力作りばかり。

成長が早い方じゃなかったので、体が大きい奴らとは勝負にならなかった。
悔しかったけどね、こればかりは仕方ないと納得はしていた。

中学2年にもなると、地力のある奴は、学業や部活動でメキメキ頭角を表してくる。
氷河期世代の受験戦争の準備が始まると、俺の成績は徐々に下がり始めた。
成績が下がるとやる気も失せていく、そんな負のスパイラルに陥った。

静かに崩れていく家の音

勉強が面倒に感じ始めた俺。
この頃からだ。
母親が俺に対して、「教育」という名の暴力を振るいはじめた。

新しい家に引っ越してから、ほとんど家に帰らなくなった父親。
たまに家にいると思ったら、二日酔いで一日寝ている。

成績が下がった俺の存在。
「こんなはずじゃなかった」
──そのストレスが、すべて俺に向いたんだと思う。

ある日母親に「今後のテストで80点未満は絶対許さない」と言われた。
79点でも容赦なく引っ叩かれる様になった。

少し難しく出題された小テストだってその対象だ。
クラス平均60点台のところ、70点。それでも叩かれた。

ウールのセーターが体に合わず、首が痒くなる。
そう言っただけで、裁縫ばさみでセーターを切り裂かれた。

小学校時代の友達から届いた手紙は、母が勝手に開封して先に読んだ。

子供ながら、いくらなんでも理不尽だと思ったけど、耐えた。
子供の狭い世界観では、この家庭が全てだったからね。
クソみたいな家庭であってもさ。

下手に全国模試で結果を出したばかりに、こんな酷い目にあったよ。
親の期待も度を越すとこうなる。
みんなも親の目線で考えて、気をつけてほしい。

成績以外の部分でも、母親の暴力は日常茶飯事になった。
やれ返事がない、やれ起きるのが遅い、寝るのが遅い。
母親が気に入らないことがあれば、すぐ叩かれた。

顔をボコボコに腫らして学校に行ってるんだから、先生も少しは気にしろよと思ったよ。
社会を知らない俺は、それが普通なのかと諦めていた。
気力は、もう底をついていた。

部活や塾もサボりがちになり、親の目を盗んでゲーセンで遊ぶようになった。
もう全てから逃げ出したかった。

そして──あの夜が来た。

家出した時の話は詳しく書かないが……

親がほとんど帰ってこない同級生の家で過ごし、そこで完全にグレた

今考えるとその同級生の家も、幸せな家庭ではなくネグレクトだった気がする。




中学3年から高校2年にかけては、まさに暗黒の時代

親に不満があるなら、ちゃんと向き合えばよかったのに、そうもいかなかったんだよね。
母親は暴力は振るわなくなったものの、脳の奥深くに恐怖を植え付けられている。
教師陣だって、どこまで味方になってくれるのかわからない。

自分の身を守る術は、もう暴力しかなかった。
殴られたら殴り返した。舐められたら一方的にやられる。
相手が友人だろうが殴り返した。
もう二度と、あの日の裁縫定規で殴られたくなかった。

たまに負けてボコボコにされたりもした。
その名残で、今でも鼻が少し曲がっている。

そんな俺にも、高校受験が訪れる。
そもそも高校に進学する気は無かったんだけど、
仲が良かった友人が高校に行くと言うので、俺もついでに同じ高校を受験する事にした。

中学2年までの勉強のおかげで、偏差値50くらいの公立高校に合格。
しかし、入学初日から高校でイキって大暴れ。アホすぎる。

高校生になっても、親とはろくに話しをしなかった。
家では、2個下の妹と話すくらい。

あ、そうだ。
妹について話してなかった。
俺には2個下の妹がいるんだ。

妹は引っ越し先の新しい小学校で、酷いいじめを受けていた。
さすが千葉のクソ田舎のクソみたいな小学校だよな。

妹が中学に入学すると同時に、男女差別なくいじめていた奴らにはしっかりお仕置きしたよ。
具体的な手法は内緒だ。

俺が卒業する際、一個下の後輩(暗黒仲間の女の子)に「妹を面倒を見てやってほしい」とお願いしておいたので、いじめは完全に無くなった。

いや、むしろ偉そうになった気さえする。
何か間違えたか?

妹は覇気を取り戻し、3年生に上がる頃には、軟式テニスで全国大会に出場するほどの活躍を見せる様になる。
強豪校からの誘いを受け、その後も順風満帆な高校生活を送っていた。

俺とは全く対照的。
ホントによかった。

死と隣り合わせの助手席で

高校2年のある日。
母親が突然「車で食事に行こう」と言い出した。

日頃ほとんど口をきかないのに、どうしたんだろう。
でも、腹が減ってた俺は深く考えずに助手席に乗り込んだ。

しばらく走っていると──
母親がハンドルを強く握りしめたまま、前を見据えている。

その目の奥、どこか焦点が合っていない。

次の瞬間だった。
車がフラッと対向車線に寄る。
パァァァァ!!! 対向車がクラクションを鳴らしてすり抜ける。

「え…?」

母親の手が、また小刻みに動く。
右へ、左へ。
グッグッ、キュキュッ──

タイヤが鳴る。
シートが軋む。

心臓が嫌な音を立てた。
手汗が止まらない。
母親の横顔を見た。無表情。呼吸が浅い。

その瞬間、理解した。
この人、本気で死のうとしている。

頭の中で何かが弾けた。
「まだ死にたくないから、やめてくれ!」

声は震えていたのに、
不思議と冷静でもあった。

母親は、少しの沈黙のあとで小さく言った。
「そう」

それだけ。

その一言で、すべてを悟った。
──やっぱり、母親は死のうとしていた。
俺と一緒に。

緊張が解けると共に、何かが俺の肩にぶつかった。
強く。



うちの家庭はすでに崩壊していた。
父の怒鳴り声、
母の泣き声、
妹の叫び。
誰も笑わない家。
新築の「夢のマイホーム」に、もう夢はなかった。

久しぶりに母親の顔をまじまじと見た。
まだ30代後半のはずなのに、髪が真っ白だった。

その日の食事は、味がしなかった。
皿の上のカツ丼が、ただ冷たくなっていくのを見ていた。

帰宅後、母親がぽつりと言った。


「学校が合わないなら、辞めたらいい」

その翌日、俺は高校に退学届を提出した。

これが俺の学生生活の終わり。

そのときはまだ知らなかったんだ。
この先、この苦しみを超えた苦難が俺を待っているということを。

次回

第2話「海の向こうで呼吸した日」に続く

海の向こうで、少年は初めて深く息を吸う。
異国の静けさが、許しと再生の輪郭をかすかに照らし出す。
次回、物語は遠い海から動き始める。

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スピンオフ作品

atch-k | あっちけい
Visual Storyteller/Visual Literature
光は、言葉より静かに語る。

Nikon D500を肩に、街の呼吸を撮り歩き、
写真と言葉を一体化させた 写真詩(Visual Literature) を日々発表しています。

人の姿そのものではなく、
人がいた「余韻」や、空気に残る気配。
そこに、言葉を添えるのではなく、
言葉を写真の後ろに置く。
それが、私のVisual Literatureです。

本業は、物流業界での国際コンテナ船・輸出事務。
現場とオフィスの狭間で、
数字・書類・時間に追われながら、
「記録すること」と「伝えること」の重さを
長年、実務として見つめてきました。

その感覚は、
写真詩だけでなく、レビューやコラムにも流れ込んでいます。
体験を切り取り、構造を整え、
読み物として成立するノンフィクションへ昇華する。
事実を並べるのではなく、
判断と文脈で読ませる文章を心がけています。

長編ノンフィクション
『異世界に行けなかった俺の半生。』(全14章)は、
家庭崩壊、絶望、再起、そして静かな再生を辿った実話。
草思社文芸社大賞2025に応募し、
現在の写真詩表現の源泉を、すべて言葉として書き残しました。

写真詩と文章は、別々の活動ではありません。
どちらも、
光と静寂が立ち上がる瞬間を、記録する行為です。

atch-k | あっちけい
Visual Literature Artist
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