異世界に行けなかった俺の半生。第3話 包丁の重さを知った朝

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海外留学で母との確執を乗り越え、初めて家族と向き合えるようになった。
「日本」という国の面白さを再発見し、ようやく自分のこれからを考え始めた主人公。
その小さな再生が、次の進路を決めていく。

第2話 海の向こうで呼吸した日

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目次

和食の道へ踏み出した理由

海外留学したことで日本という国に興味を持った。

帰国してからというもの、母とは何でも話せる仲になった。

あの日、車の中で「殺される」と思った母と、
今は笑いながら話せる。
不思議だった。

まあ色々あったのは確かだけど、
俺だって悪い。

母にこれ以上辛い思いさせる必要もないだろう。
高校は早々に辞めちゃったけど、これからの人生でやり直していけばいい。

若さは力だ。何だってできる。

高校に入学し直してもいいし、大検をとって大学受験したっていい。
どんな方向に進むにせよ、もう過去のような馬鹿はやるまい。

その頃の俺はといえば、相変わらずバイク三昧の日々を送っていたけど、心持ちはちょっと前向きになっていた。
海外から自分を見つめ直したことで、自分が住んでいる「日本」という国に興味を持ち始めたからだ。

料理の世界へ向かう最初の誘い

そんなある日のこと。

父親から突然「和食の調理をやってみないか」と声をかけられた。
家にいないので、あまり話す機会がない父親だったが、もう親に反抗するような気分でもない。

きっと反抗期が終了したんだろう。

海外から見た日本って面白いんだよね。
文化は独特だし、内向的な面はあるけどこだわりが凄かったり。

俺は和食を作ってみたいと思ったんだよね。
「そろそろちゃんと働き始めなきゃな」って気持ちもあったんだと思う。

職人仕事はキツイとは知っていたけど、高校を中退している以上、手に職を持つってのも選択肢として悪くない。

「職人」……うん。かっこいいじゃない?

で、修行先を見つけてくれるという、父親の知り合いの料理屋さんを手伝うことになった。

このお店、千葉の片隅にあるのに高いんだよね。
料理の値段が。

フグとか出してるし、この板前さんも只者じゃないんだろう。

でも、料理を教わったわけでもないし、ここでは特に語るようなこともないかな。
ひたすら洗い物と掃除をやっていたよ。
奥さんが忙しい時はホールを手伝ったりね。

俺と同い年の娘さんがいて、ちょっといい感じになったりしたけど、それはまた別の話。
眼鏡が似合う可愛い娘だったな。

その店では火曜〜日曜の週6勤務。
1日8時間で2週間ほど手伝ったんだけど、無償奉仕とわかって精神的にショックを受けた。

おい金よこせよクソジジイ。

最初の修行と、挫折の予感

あ、そうだ。

念のため伝えておくけど、俺が和食を学んだのは、赤坂にある懐石料理とかのエリート街道ではない。

「吉兆」とか「なだ万」から一歩引いた、創作料理・会席料理が混ざったようなレベルの店。

最高級ではないけれど、安いわけでもない。
そんな感じの店で修行してきた。

紹介された修行先は東京都品川区の会席料理屋。
プールみたいなデカい生け簀が4つもあるバブリーな店構え。

マダイやトラフグ、ヒラマサやヒラメなんかが所狭しと泳いでいる。
ヒラマサみたいな回遊魚が泳いでいる時点で、生簀のデカさを感じてもらえると思う。

どでかいタカアシガニがいる生簀に入る時は怖かったね。
ハサミの力が強いから、指なんて挟まれたら簡単に持っていかれるって聞かされていた。

やべえだろ。
やられたら労災効くんだろうな。おい。

ここでちょっと説明しておこう。
板前の序列についてだ。

「追いまわし」から始まり、
揚げ場→焼き場→八寸場→向板→脇板&脇鍋→立板←→煮方→親方、右に行くほど偉い。

煮方と立板の関係は、店によって変わることもある。
俺の修行先は「煮方」が、親方に次いで偉い「二番」だった。

その店の板前は総勢10人。
俺はもちろん一番下っ端の「追いまわし」からスタート。

下っ端板前の待遇は超絶ブラック。
勤務時間は9:00~22:00、残業手当なしで給与は12万円/月のボーナス無しだった。

これでも大手企業の資本が入った料理屋さんだぜ。
安いよね。ヤバいよね。黒いよね。

もっと貰えないのかと、試しに聞いてみたんだけど、「料理を教えてもらって、金までもらえるんだから、ありがたい話じゃないか」だと。

そんなわけあるか。クソ。


業務内容は主に、先輩が使った調理器具の洗浄、米研ぎ、おしんこ盛り付け、その他雑用全般。

「洗い物に出てくる調理器具に残った食材を味見して、勉強しとけよ」
八寸場の先輩によく言われていた。

うるせえよ。お前洗い物出しまくるんじゃねえよ。
全く効く耳を持たない俺。

業務終了後は「ボンスター」で鍋を磨いたり、先輩の足袋を洗濯したりと、翌日の準備もしなければならなかったから、帰るのはいつも終電。

昼も夜も休憩なんて殆どない。

洗い物や雑用ばかりで、料理なんて教えてもらう暇はないし、週一の休みは疲れ切って遊びに行く事もできない。


身近な友達が、学生生活を謳歌しているのに、そんな環境が耐えられるわけがないよね。
わずか3か月で先輩と喧嘩して、早々に退職した。


喧嘩した理由。

偉い人(煮方)が、彫刻刀でカボチャに菊の花を彫るのを見かけて、すげえええ!と感動。

質問攻めにしたら、何故か教えてくれることになったんだよね。

で、煮方と一緒にカボチャに菊の花を彫っていたら、八寸場の先輩が嫉妬。

煮方に見えないところで、俺に蹴りを入れてきやがった。軽くだけどね。

「偉そうに彫り物なんて教わってんじゃねえ」って。

八寸場の野郎、元々偉そうで嫌いだったから、頭にきて思いっきり蹴り返したら大問題に発展。

先に手を出した八寸場の先輩は、すぐ俺に謝ってきた。
で、やり返した俺も親方に反省を促されたが、仕事がキツイし、やる気も無くなったので「辞めます」と言ってそのまま退職したんだ。

我ながら忍耐力のないガキだと思う。

神田で出会った本物の親方

勝手に退職して少し経った頃、父親の知り合いの板前さんから、別の料理屋を紹介すると連絡があった。

あんな義理を欠いた、酷い辞め方したのに。

板前はキツイから嫌だと言っても、「良いところだから挨拶だけでも行ってこい」と辞退させてくれなかった。

仕方ないから挨拶に行ったんだよ。
断るつもりで。

挨拶に行った先は、千代田区の神田駅前。

そのお店の板前は親方、煮方の二人だけ。
40席程度の小規模な佇まい。

もう一人若い人がいたみたいだけど、辞めちゃったらしい。
理由は知らない。

挨拶だけで終わらせるつもりが、親方と色々話してみたら、すごく雰囲気が良かったんだ。

「おう、やる気があるなら来い」
たったそれだけの言葉なのに、 胸の奥が温かくなった。

うん。この親方の下でなら続けることが出来るんじゃないか?

というわけで、口説かれて調子を良くした俺は、板前修行をし直すことにしたんだ。

流されやすいと思うよ。実際。

新たな下っ端板前の待遇は、勤務時間10:00~22:00、残業手当なしで給与は22万円/月、ボーナスなし。

月給10万アップの大出世。

業務内容は主に揚げ場と焼き場、親方のアシスタント。
店長も仲居さんもパートさんも、みんないい人ばかり。

お店の従業員みんなが家族みたいだった。

今度は続いたよ。
この環境で続かなかったら、板前に限らず、どこに行っても働けないだろう。

揚げ場と焼き場で掴んだ技術

そんな感じで修行を続けるうちに、揚げ物のコツを掴み始めた。

揚げ場は、「鋳物ガスコンロ」と「銅鍋」で揚げる本格派。

腕を上げたくて、有名店を食べ歩いて研究した。
可愛い仲居さんを誘って。

ま、間違っても、し、下心なんてないんだからねっ!

そのうち、俺が揚げた天ぷらを、たくさんのお客さんが美味しいと褒めてくれるようになり、かなりの数の注文が入るようになった。

天ぷらを美味しく揚げるコツは火力の調整と、水の温度と小麦粉の合わせ方だけ。

シンプルイズベスト。

コーンスターチとか、片栗粉とか余計なものは一切入れない。
とにかく、衣と具材が口の中で一緒に溶けるように考えながら揚げる。

衣が口に残ったり、火を入れすぎて具材が固くなるようじゃ半人前。

得意になって、さらに研究していたら、親方がお店のおすすめに俺の天ぷらを入れてくれた。

会席料理屋のおすすめにだぜ?
嬉しかったな。

板前として認めてもらえた気がして。

揚げ物ばかりじゃなく、焼き物も頑張った。

「踊り串」や「登り串」が得意になり、バランの切り方を研究して、綺麗に装飾できるようになった。

魚の油の強弱を考えて塩の量を調整したり、火加減も魚が柔らかく食べられるように考えた。

焼き物は強火の遠火が基本。

揚げ物も焼き物も、一番おいしいタイミングで火を入れることができるようになったんだ。

おお。なんか職人っぽくなってきたね。

順調な板前生活を送っていたんだけど、ある日を境に親方のことをオヤッサンと呼ぶようになった。

この人から本気で料理を教わろうと思ったんだよね。

本当は「親父」だけど、俺はまだガキだから「親父さん⇨オヤッサン」。

煮物との出会いと板前としての確立

修行から3年半が経過した頃、余ったブリのアラで、賄いにブリ大根を作ったら、オヤッサンが気に入ってくれたんだ。

これを機に、オヤッサンから煮物を教わり始めた。

最初は割合で作るものから、徐々に食材と調味料の合わせ方まで教わったよ。

出汁も引かせてもらえるようになった。

クレードルに出汁を入れた小皿を乗せ、オヤッサンに「あたりお願いします」と言って味を見てもらう。

これが怖い。

まじで緊張する。

初めのうちは鰹が強い、昆布が勝っていると毎回注意されていた。

出汁はマジで難しい。
店の味だから妥協はない。

ちょっとのミスで、食材が全て無駄になる。

煮方の先輩の協力を得ながら、この難問に挑戦し続けた。

オヤッサンも当然だけど、この煮方の先輩もすごい人。

何が凄いって、味が決まるんだよね。
俺みたいなのは「味がぼやける」ことが多いんだけど、この人たちはバシッと味を決める。

で、美味しい。

季節の炊き合わせにも挑戦したんだけど、これもまた難しい。

この頃かな?

「料理四季報」っていう専門誌に取材された時は、ちょっとうれしかった。
頑張る新人料理人!とかそんな感じの記事だったように思う。

そんな感じで修行を続けていると、オヤッサンから注意されることも少なくなり、だんだん調味料の使い方も理解してきた。

煮魚にたまり醤油を使うとまじで美味い。

次の段階へ──魚を学ぶための決断

5年ほどその店で修行を続けていると、葛藤が生まれてきたんだよね。

オヤッサンや煮方の先輩のおかげで、なんとか板前っぽくなってきたものの、魚をほとんど触っていなかったんだ。

店の規模的に魚の入荷数が少なかったので、圧倒的に捌く量も種類も足りなかった。

魚をメインに修行するためには、居心地のいいこの店を出て、修行に出なくちゃならない。

相当悩んだけど、外に修行に出ることを決意したよ。

この頃はとにかく「料理が上手くなりたかった」。

オヤッサンと煮方の先輩は、外の水を飲むのもいい経験だと背中を押してくれた。

でも、オヤッサンは少し悲しそうだった。

実の息子のようにかわいがってくれたからだろう。

俺は「必ず後を継ぎに戻るから、待っててくれ」とオヤッサンと約束し、店を後にした。

店の暖簾が、夜風に揺れていた。

振り返ると、オヤッサンが小さく手を振っていた。
その背中が、いつもより小さく見えた。

次回

第4話「包丁の重さを知った朝」に続く

神田で掴んだ技と自信を胸に、新たな修行へ踏み出した主人公。
しかしその先で待っていたのは、料理人としての未来を断ち切る突然の闇だった。
全てが静かに終わりへ向かい始める

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atch-k | あっちけい
Visual Storyteller/Visual Literature
光は、言葉より静かに語る。

Nikon D500を肩に、街の呼吸を撮り歩き、
写真と言葉を一体化させた 写真詩(Visual Literature) を日々発表しています。

人の姿そのものではなく、
人がいた「余韻」や、空気に残る気配。
そこに、言葉を添えるのではなく、
言葉を写真の後ろに置く。
それが、私のVisual Literatureです。

本業は、物流業界での国際コンテナ船・輸出事務。
現場とオフィスの狭間で、
数字・書類・時間に追われながら、
「記録すること」と「伝えること」の重さを
長年、実務として見つめてきました。

その感覚は、
写真詩だけでなく、レビューやコラムにも流れ込んでいます。
体験を切り取り、構造を整え、
読み物として成立するノンフィクションへ昇華する。
事実を並べるのではなく、
判断と文脈で読ませる文章を心がけています。

長編ノンフィクション
『異世界に行けなかった俺の半生。』(全14章)は、
家庭崩壊、絶望、再起、そして静かな再生を辿った実話。
草思社文芸社大賞2025に応募し、
現在の写真詩表現の源泉を、すべて言葉として書き残しました。

写真詩と文章は、別々の活動ではありません。
どちらも、
光と静寂が立ち上がる瞬間を、記録する行為です。

atch-k | あっちけい
Visual Literature Artist
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