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― 社会復帰した職場は、いじめと理不尽が渦巻く“地獄の入口”だった。 ―
異世界に行けなかった俺の半生。第8話【社会復帰編】やっと掴んだ社会復帰のチャンス。そこは“地獄の入口”だった。
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主任やアルバイト達が帰ったであろう時間帯。
総務に送ってもらった退職届を胸に倉庫へ向かった。
もう心が限界だった。
俺は何のために生きているのかも、わからなくなっていた。
全てを終わらせて、苦しくない家に帰ろう。
一生ニートのままでいい。
こんな辛い思いはもう嫌だ。
倉庫に着いた途端、足が震えた。
恐怖が頭をフラッシュバックする。
誰もいないと思っていた。
けれど、聞き慣れた音が耳に入った。
プリンタの音だ。
何度も夢で聞いた、あの音だった。
事務所近くまでくると静まり返った事務所に、ラインプリンタの音が響いていた。
誰?
顔を上げると──
部長が汗を流して出荷作業をしていた。
後ろでは、倉庫の「別部署」の女性スタッフが2人。
一所懸命に梱包作業をしている。
その姿を見た瞬間、言葉が出なかった。
部長はすべてを知っていた。
今、梱包を手伝ってくれている女性スタッフから事情を聞いたらしい。
「なんでもっと早く相談しなかったんや!」
その声は、怒鳴り声というより、泣き声だった。
「……すいません。
期待してくれてる部長に、心配かけたくなかったんです。」
部長はしばらく黙って、
伝票を束ねていた手を止めた。
「お前の味方を入れろ。社員ひとりと派遣5人。稟議、もう通してある。」
言葉を詰まらせながら、続けた。
「……あの3人とは戦ってええで。お前が、ここの責任者や。」
言葉より先に、涙がこぼれそうになった。
いや、たぶんもう、出ていた。
「でも暴力はあかんぞ」
「しませんよ笑」
ああ、見てくれていた人がいた。
みんな見て見ぬふりをしていると思っていたのに、
ちゃんと、見てくれていた。
俺の状況を部長に報告してくれた倉庫の二人にも、
心から感謝した。
「辞めなくていいんだ」と思った。
「俺には、味方がいたんだ」と。
カバンに入れた「退職届」をそっとゴミ箱に捨てた。
その瞬間、張りつめていた心がふっとほどけた気がした。
少しして、倉庫スタッフのひとりが俺に声をかけてきた。
「ひとりで遅くまで仕事してるの知ってたんです。
でも、あの三人が怖くて何もできませんでした。
本当に、すみません。」
その言葉を聞いた瞬間、
張りつめていたものが一気に崩れた。
優しかった。
それだけで胸が熱くなった。
すると、部長が言った。
「それとな、倉庫の移転が終わったら、この二人はお前の部下や。よろしくな。」
「はぁ???」
思わず声が裏返った。
泣いた後に笑うとは、こういうことなんだろう。
自分で面接して、社員として採用したのは、
いろいろ足りないところはあるけれど、誠実な男だった。
真っ直ぐで、嘘がない。
俺は、そういう人間が好きだ。
もっと能力がありそうな人は他にもいた。
でも、今回は自分の勘を信じるしかない。
頼むぞ。
もう二度と、間違いたくないんだ。
派遣採用では、以前自分が登録していた派遣会社の担当に電話した。
贔屓にしてくれってお願いされていたからね。
「これで俺の抜けた分も稼げたでしょ?」
担当は笑っていたけれど、
その声の奥に、懐かしさと少しの安心が混じっていた気がした。
かつて派遣として働いていた俺が、いまは発注する側にいる。
たったそれだけのことなのに、胸の奥が少し熱くなった。
ほんと、優しい人だよな。
ある日、業務の指示を出していると、アルバイトの一人が小さくつぶやいた。
俺に目を合わせずに。
「……マジでウゼェんだけど」
その瞬間、空気がピリッと張りつめた。
堪えきれず、声が出た。
「言いたいことあるなら、俺の目を見て言えよ。なあ。」
その瞬間、主任がブチ切れた。
「なんなの? その態度!」
俺は深呼吸して、静かに言った。
「私はここの責任者です。
彼女は私の指示に対して『マジでウゼェ』と言いました。
それに対して、言いたいことがあるなら、私の目を見てはっきり言えと伝えただけです。
――問題ありますか、主任。」
「あなたが来るまでは、ここは何の問題も無かったんですけど。
部長が後ろにいるからって、調子に乗ってるんじゃないの?あなたのせいでこうなってるの。」
主任が言い返す。
俺は、一拍おいて口を開いた。
「はっきりさせましょう。
主任、あなたが出産で休むのはいい。
でも――
自分が開けた穴を埋めようと、必死に頑張っている後任の人間を、
言い返さないのをいいことに、辞めたくなるほどいじめるなんて、
“元”責任者として、正しいことなんですか?」
・
・
・
主任とアルバイトは、何も言えなくなった。
沈黙の時間が流れる。
遠くで聞いていた部長が間に入った。
「まあまあ、もうええやん」
そう言って、主任を別室に連れ出していった。
その日を境に、主任の姿は消えた。
育児休暇を取ったらしい。
誰も何も言わなかった。
けれど、あの場の空気がすべてを物語っていた。
その夜、もう一人のアルバイトと駅で鉢合わせた。
開口一番、こう言われた。
「ほんっと色々すみませんでした。これからも一緒に働かせてもらえませんか。」
こいつ……俺がどれだけ辛い思いをしたと思ってるんだ?
俺は答えた。
「あれだけ嫌がっていた俺の下で働けるの?」
「当たり前じゃないですかぁ!絶対頑張りますよ私」
調子良すぎだろ。コイツ。
気にしないわけじゃない。
でも――味方は一人でも多い方がいい。
それにしても強いやつだな。
勝ち馬に乗るって、こういうことか。
俺の方も少し反省した。
もっと人の気持ちを考えて、相談しながら動けば良かったのかもしれない。
……いや。
そんなことを考える前に、きっと、いじめられたんだろうな。
それからの日々は、まさに嵐だった。
アウトソーシングの概要をまとめ、
システム改修の要件定義を詰め、
移転先に連れていく人員の選定。
来られない人たちとは、ひとりひとり合意書を交わした。
そして同時に、アウトソーシング先の教育。
継続できない業務の整理?……そこは、部長に丸投げした。
これ間に合うのか??
倉庫の在庫だって整理しないといけない。
「何なんだよ。どれだけ在庫抱えてるんだこの倉庫!!部長どうなってるんですか?」
「てへぺろ」
てへぺろじゃねえよおっさん!!
晴れて俺の部下として配属された、倉庫の女性スタッフ二人も懸命に…動いてくれている。
「これ超懐かしい〜」
おい働いてくれよ!!
気づけば、昼も夜もなく動いていた。
目の前の課題を潰しても、またすぐ次の山が現れる。
それでも、もう逃げなかった。
あの地獄の日々に比べれば、
この忙しさは、希望の匂いがした。
主任の荷物?
何も片付けずにいなくなったから、段ボールにまとめて大きく名前を書いておいた。
誰が見てもわかる様にね。
そしてついに、移転が完了した。
最後くらいは、みんなでお祝いしましょう。
移転先に来られる人も、来られない人も、全員で。
「部長が自分の会社の接待交際費としてお金を出すから、安く飲めますよ」
その時の部長の顔はマジだった。
これまで見せたことのない、“漢”の顔だった。
この日は最高に楽しかった。
笑い声が絶えず、倉庫時代の苦労も、全部笑い話になった。
部長が酔った勢いで、俺の肩を叩いた。
「お前、よう頑張ったな。ほんまお疲れさんやで。」
少し間を置いて、
「今度、社長に紹介したるわ。」
思わず笑った。
「いやいや、そんな偉い人、俺なんかが会っていいんですか?」
部長はニヤリと笑って、
「ええんや。俺と社長は、ちゃん付けで呼び合う仲や。」
うそつけ。
そう思いながらも、なぜか笑みがこぼれた。
パートさんたちから、主任と揉めていた当時の話を聞いた。
最初に部長に伝えてくれたのは、彼女たちだったらしい。
「げっ、バツが悪すぎる。
本当にごめんなさいって、私、謝ったよ〜。
そしたら“主任”が許してくれたんですぅ。」
と、照れ笑いを浮かべるあのアルバイト。
(そう、駅で謝ってきた方だ。)
「この人、反省してるからってね。仕方ないから、時給マイナス1,200円の減俸処分で許したんで。」
「えぇぇぇぇぇ!私が払う側じゃないですかぁ!」
そう言ったら、みんなが笑った。
“ウゼェ”と言ったアルバイトは、飲み会には来なかった。
そのまま、退職届も出さずに静かに退職していった。
――あの嵐のような移転が終わって少しした夜。
久しぶりに“オヤッサン”の店に顔を出した。
移転先は神田。
神田といえば、料理修行していた頃の「あの」オヤッサンの店だ。
「いらっしゃいませー」
スーツ姿で入っていくと、カウンターの向こうでオヤッサンが目を丸くした。
「お前……なんだ、その格好は。」
笑って「今は物流の事務職っす。しかも主任っす」と言うと、
オヤッサンはしばらく黙って、包丁を置きながら言った。
「包丁の世界じゃなくても、しっかり戦ってるんだな。」
その一言が、胸に沁みた。
何も言えず、ただ黙って頷いた。
ふと店内を見回す。
――ここも、久しぶりだな。
見知った顔がいくつもあった。
笑顔で「久しぶりー」と声をかけると、
仕事を放り出した仲居さんたちが、次々に駆け寄ってきた。
グラスの氷が溶ける音が、やけに静かに響いた。
「閉店まで飲んでられるか? 終わったらちょっと飲むか。」
「是非。」
オヤッサンに話をした。
事故の後のこと。
ニートをしていたこと。
料理の仕事ができなくて派遣で働いたこと。
倉庫でのこと。
辞めそうになったこと。
でも、みんなのおかげで続けられていること。
マシンガンのように語る俺。
本当の父親のように、黙って聞いてくれる笑顔のオヤッサン。
「人に恵まれたな。」
オヤッサンが言った。
本当に、そう思う。
店を出ると、神田の街は相変わらず雑多でうるさい。
でも、あの頃の俺とは少し違う気がした。
“働く”という意味が、少しだけ変わっていた。
翌朝。
新しい神田の事務所には、まだ段ボールの匂いが残っていた。
みんなの頑張りで、ここまで来た。
一人じゃ絶対に無理だった。
ホント感謝しかない。
外はすっかり暗くなり、窓の外には首都高のライトが流れていた。
ラインプリンタの音が、また静かに鳴り始める。
それが、俺たちの再出発の合図のように思えた。
少しだけ、笑顔になれた。
――そのとき。
電話が鳴った。
パートさんが受話器を取る。
数秒の沈黙。
「……配送クレームです。」
俺は、ゆっくりと天井を見上げた。
地獄は、まだ終わっていなかった。
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🔜 次回予告
崩壊し始めた会社。
社長と出会った俺。
そこで俺は二択を迫られる。
俺が選択した先には…
――次回、第10話【崩壊編】
異世界に行けなかった俺の半生。シリーズ
▶︎ 最初から順番に読む
- 家庭崩壊、教育虐待、家出──壊れた家族の中で、それでも“生き直そう”とした少年の原点の物語。
第1話【原点編】母の暴力から逃げた夜、すべてが壊れた - 海外で見た自由と孤独――家庭崩壊から逃げた少年が、母との絆を取り戻すまでの再生記。
第2話【青春編】海外で見た“自由”と“孤独”、そして母との絆 - ― 包丁と涙で刻んだ“下積み時代” ―
第3話【迷走編】包丁と涙の下積み時代。 - ― 包丁と向き合い、職人としての道を歩き始めた ―
第4話【修行編】魚と格闘した板前の日々 - ― 包丁を握れなくなった日、全てが終わったと思った ―
第5話【絶望編】包丁を握れなくなった日 - ― 動かない手を見つめながら、もう一度生き直そうと思った ―
第6話【再生編・前編】動かない手、折れた心 - ― リハビリで手は動くようになった。けど、心はまだ止まってた ―
第7話【再生編・後編】リハビリと人生の練習、動く手、動かない心。 - ― 社会復帰した職場は、いじめと理不尽が渦巻く“地獄の入口”だった。 ―
第8話【社会復帰編】やっと掴んだ社会復帰のチャンス。そこは“地獄の入口”だった - ― 涙と笑いの中に、“生きる意味”が戻ってきた日 ―
第9話【社会復帰編・反撃】倉庫で泣いて、笑って、また立ち上がった日。 - ― 崩れていく会社の中で、最後まで“立ち続けた男”がいた ―
第10話【崩壊編】崩れゆく会社の中で、俺が見た“男の背中” - ― 壊れた会社。社長の信念、部長の意思。今度は俺が立て直す。 ―
第11話【新体制編】誰も動かないなら、俺が動く。 - ― 終わりじゃなかった。継がれた熱が、俺を動かした。 ―
第12話【継承編】崩壊した会社に、“もう一度、光を灯した男”の記録。 - ― 全てを燃やして。 ―
第13話【燃焼編】光で始まり、光に還ったひとつの物語。 - ― 無音の中に、“おかえり”が聞こえた。 ―
最終話【無音編】おかえりなさい
スピンオフ作品
- ― これは、「異世界に行けなかった俺の半生。」の もう一つの世界線の物語 ―
異世界に「転生した」俺の半生。第1話【再会編】もう一度、母に会えた朝。

