異世界に行けなかった俺の半生。第6話 動かない手と沈黙の部屋

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事故で両腕の自由を失い、料理人としての未来が途絶えた主人公。
病院での絶望、友人の死、オヤッサンとの別れを経験しながら、
ただ“生きる”ことだけを支えに入院生活を続けた。
その先に何が残るのかも分からないまま、時間だけが進んでいく。

第5話 握れなくなった手の先で

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目次

退院までの静かな時間

退院までにさらに3か月かかった。

最初の頃は、毎日のように誰かが見舞いに来てくれていたけれど、
時間が経つにつれて、だんだん人は少なくなっていった。

それでも母と妹だけは、ほぼ毎日顔を見せてくれたんだ。
父親は……たまにね。

腕は少しずつではあるものの、動くようになってきた。
当初はトイレにも行けなかったけれど、
自分で起き上がって多少の作業はできるようになった。

手先を使う細かい作業はまだ無理だけど、
それでも、腕そのものはまだ生きてるって感覚は確かにあった。

「料理は……無理だな」
自分に言い聞かせるように、ぽつりとつぶやいた。

それでも、自分で風呂に入れるようになった時、久しぶりに「俺、生きてるな」と思えたよ。

週に二回の入浴が本当に楽しみだった。

実家に帰り、家族と向き合う

そしてついに来た退院の日。
待ちに待った退院の日。

外の空気を吸った瞬間思わず笑っちゃったんだ。
ホント、「娑婆(しゃば)の空気がうまいぜ」ってね。

入院したことがある人ならわかるだろうけど、入院生活って本当に退屈なんだよ。

さて、どこに帰るか。

住んでいたアパートは保険と傷病手当金でなんとか借り続けていたけれど、
仕事もない今となっては、もう引き払うべきだろう。

そう思って、俺は実家に帰ることにした。

久々に足を踏み入れた実家。
あの荒れ果てた雰囲気は無くなっていた。

俺の退院にあわせて休みを取ってくれた父、母、妹。
久々にここで家族全員と顔を合わせた気がする。

「おかえり。よく頑張ったね」
母のその一言で、少し泣きそうになった。

「少し家でのんびりしておけ。何も気にするな」
父が言った。

亡くなった友人の家へ──謝罪と現実

──俺がまず最初にやらなければならないこと。
それは、亡くなった友人の家族への謝罪だ。

運転していなかったとはいえ、あの日、遊びに誘ったのは俺だ。
責任の一端は間違いなくある。

まず、ご両親とご兄弟に謝りたい。
そして、「許されたい」というずるい気持ちも、心のどこかにあったように思う。

友人の家を訪ね、俺の名前を伝えた瞬間、場の空気が変わった。
重く、冷たい空気。
言葉が出ない。

仏壇の前に飾られた友人の写真。
その笑顔を見たとき、ようやく実感した。

──もう、いないんだ。

「ごめん……」

その言葉だけを搾り出した。
ご両親は静かにうなずいた。

「いったい何が起きたのか」
ご両親に問われ、包み隠さず全てを話した。

そして、帰り際に言われた。

「もう、この家には来ないでほしい」

俺の顔を見るたびに、思い出してしまうから、と。

胸の奥がすうっと冷たく沈んでいった。
許しをもらえたのかどうかもわからないまま、
ただ、玄関先で何度も、何度も頭を下げ続けた。

自分が親となった今、あの時のご両親の気持ちが痛いほど理解できる。
あの日を思い出すと、今でも胸が締めつけられる。



手先を取り戻すための、長い戦い

仕事を探す前に、まずは体をなんとかしなきゃな。

折り紙を折ったり、リリアンを結ったり、ミサンガを作ったり。
手先の感覚を少しでも戻そうと、それまで一度もやったことのないことを、ひたすらやった。

毎日、飽きもせず。
紙の折り目が少しでもズレると、やり直し。
指先がちょっとでも思い通りに動くことが嬉しかった。

数週間も経つと、新しい生活にも慣れてくる。
そして――指先は、思っていた以上に回復の兆しを見せていた。

若いって、ほんとすごいよね。

折り紙もミサンガも、どんどん上達していく。
これって売り物になるんじゃ?と勘違いするレベルまで上手くなった。
両手両足は自分で作ったミサンガだらけ。
部屋の中には、誰のためのものかわからない大きな千羽鶴。

失った料理が家族をつなぎ直す

そうこうしているうちに、ふと、思ったんだよね。

「なんか料理したいな」

母も妹も、俺の作った料理を食べたがっていた。
だったら、毎日のご飯は俺が作るか。
どうせ無職だし、細かい作業がなければ、何か作れるだろう。

母が仕事から帰ってくると、二人でスーパーに行った。
「お金は気にしないで。美味しいものが食べたいの」
そう言われたら、料理人の血が騒ぐってもの。

その日から時には和食、時には中華、時には洋食。
いろんな料理を作った。

ただ――千切りや微塵切り。
包丁を使う作業だけは怖かった。
包丁を持つ手が震える。
慎重に、慎重に。
いや、無理だ。

野菜の刻みにはフードプロセッサーを使うことにした。
これ、俺が切るより細いんじゃないか?

それでも作った料理は評判がよかった。
気づくと、「なんか最近、晩ごはんが楽しみになった」
と、妹が仕事から早く帰るようになった。

夕食時は母・妹・俺の三人で笑いながら食事をし、
お酒も一緒に飲むようになった。

俺は調子に乗って、カクテルを勉強した。
せっかくだから、食卓もバーみたいに楽しくしてやろうと思ったんだ。

ジン、ウォッカ、ラム、テキーラ、ウイスキー。
リキュールもいろいろ揃えた。
ブルーキュラソーにアマレット、カンパリ、ベルモット。
本を片手に夜な夜な練習。

もう一度ひとつになる

そんなある日、
「あの」父親が家に早く帰ってくるようになったんだ。

「みんなが楽しそうだから、俺も仲間に入れてほしかった」

そう言われて、少し驚いた。
母は苦笑いしてたけど、悪い気はしなかったよ。

気づけば、家族みんなで食卓を囲んでいたんだよね。
こんなの、小学生の頃…団地に住んでいた時以来だ。

「ありがとね」
母が言った。
俺は照れくさくて、笑いながら答えた。

「ま、無職だし、これくらいしないとね」

あの頃の暗闇が嘘みたいに
家の中は穏やかで、あたたかかった。

次回

第7話 ゆっくり動き出した心の音に続く

動きを取り戻しつつある手とは裏腹に、心はまだ前に進めない。
それでも、小さな挑戦と出会いが、主人公を次の世界へ押し出していく。
再就職への一歩が、静かに始まる。

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atch-k | あっちけい
Visual Storyteller/Visual Literature
光は、言葉より静かに語る。

Nikon D500を肩に、街の呼吸を撮り歩き、
写真と言葉を一体化させた 写真詩(Visual Literature) を日々発表しています。

人の姿そのものではなく、
人がいた「余韻」や、空気に残る気配。
そこに、言葉を添えるのではなく、
言葉を写真の後ろに置く。
それが、私のVisual Literatureです。

本業は、物流業界での国際コンテナ船・輸出事務。
現場とオフィスの狭間で、
数字・書類・時間に追われながら、
「記録すること」と「伝えること」の重さを
長年、実務として見つめてきました。

その感覚は、
写真詩だけでなく、レビューやコラムにも流れ込んでいます。
体験を切り取り、構造を整え、
読み物として成立するノンフィクションへ昇華する。
事実を並べるのではなく、
判断と文脈で読ませる文章を心がけています。

長編ノンフィクション
『異世界に行けなかった俺の半生。』(全14章)は、
家庭崩壊、絶望、再起、そして静かな再生を辿った実話。
草思社文芸社大賞2025に応募し、
現在の写真詩表現の源泉を、すべて言葉として書き残しました。

写真詩と文章は、別々の活動ではありません。
どちらも、
光と静寂が立ち上がる瞬間を、記録する行為です。

atch-k | あっちけい
Visual Literature Artist
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