異世界に行けなかった俺の半生。第5話 握れなくなった手の先で

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海鮮料理店で刺身を学び、華道で盛り付けを磨き、板前として充実した日々を送っていた主人公。
しかし仲間との深夜ドライブ中に事故に遭い、両腕の自由を奪われる。
職人としての未来が、突然閉ざされてしまった。

第4話 魚を捌く音だけが響いた

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目次

事故の瞬間と病院

いてえ。
体中がいてえ。
フロントガラスを突き破って、外に放り出された事だけは理解したが、そのまま気を失った。





気が付くと病院のベッドの上だった。
ドラマなんかでよくあるシーン。
まさか自分がそうなるなんてね。

それにしても体中が痛い上、体が全然動かない。
喉が渇いたのでナースコールを押そうとしたが、腕がピクリとも動かない。

「こりゃ腕の骨折ったかな」

しばらくすると、血相を変えた地元の友人が何人か見舞いに来た。
俺はとりあえず現在の状況が知りたかった。

「車に乗ってた他の奴らは?」

「…〇〇が亡くなった…。」




診断された病気と、失われた身体

あの事故から長い入院とリハビリ生活が始まった。
事故は結構大きく報道されたらしく、俺の実名が新聞やニュースで流れた。
家には親戚からの電話が殺到したらしい。

そして俺の状態。

「眼球打撲」「肺挫傷」
そして「後縦靭帯骨化症」

首後ろあたりの靭帯が骨化していく病気で、どうやら先天性だったらしい。
難病指定されているヤバいやつ。

その骨化した靭帯が、事故の衝撃で頸椎を傷つけたため、両腕と指が動かなくなった。

眼球打撲で真っ赤になった目。
視力は相当落ちると医者に言われた。

肺が片方潰れたので常に息苦しい。
咳をすると血が混じる。

入院生活は、ほんと冗談じゃなかった。

あの事故が起きてから3か月も、ずっと病院のベッドの上。

両腕は、ほとんど動かない状態で、指先がわずかにぴくっと反応する程度。

食事や排泄だって自力でできないから、看護師に手伝ってもらうしかない。

屈辱的だよ。マジで。

でも、まあ、そんなことに文句を言ったところで腕が動くわけでもない。

そんな俺にとっての唯一の楽しみは、見舞いの時間だった。

家族や友人が来てくれる時だけが、病院生活の中でほっとできる時間。
亡くなった友人の事を考えなくていい時間。
腕が動かなくなった自分の将来を考えなくていい時間。

でも、彼らも毎回何を話せばいいのか分からないみたいで、歯車がかみ合わずにどこかぎこちない。

そりゃそうだよね。はっきり言って状況が悪すぎる。

俺も俺で、笑うふりをしてみたり、ふとした瞬間に苛立ちをぶつけてしまったりして、なんともやりきれない。

とにかく、早くこの状況から逃げ出したかった。
事故の前まで時間が巻き戻ればいいのに。

友人の死、残る罪悪感

運転していた友人も、右腕が完全に動かなくなる重傷で、俺と同じ病院に入院していた。

顔を合わせることはほとんどなかったが、思い出したように「あいつも同じ場所にいるのか」なんて考えると、苦笑せざるを得なかった。

クソ、あんなにスピード出しやがって。

運転をしていた友人には、もう一人の友人が亡くなったことは伝えていなかった。

いや伝えられなかった。

時期が来たら本人にはしっかり責任をとらせるから、今は治療に専念させてほしい。
これが友人家族の希望だったから。

オヤッサンの涙と、料理人としての終わり

そんなある日、俺が修行していた料理屋の「オヤッサン」が、わざわざお店を休んで見舞いに来てくれた。
神田で俺を料理人として育ててくれたあの「オヤッサン」だ。

オヤッサンの姿を見た瞬間、はじめて自分が料理を作ることが出来ない体になった事に気づいた。
いや、気づかないふりをしていたんだろう。

他にも言いたいことはあったはずなのに、俺の口から出た言葉は謝罪だった。

「オヤッサン、後を継げなくなっちゃいました。すいません。」
と小さな声で謝った。

腕が動かない以上、もう板前を続けることはできない。
故意じゃ無いとはいえ、オヤッサンとの約束を破ってしまったんだ。

ああ怒られるかな…そんなことを考えていると、オヤッサンが口を開いた。

「馬鹿野郎…今は良いんだよそんな話。お前が生きていて本当に良かった。」

オヤッサンが俺の目の前で号泣し始めた。

いつも笑っていたあのオヤッサンが、あんなに泣く姿を見せるなんて思ってもいなかったから、俺も堪えきれなくて、結局二人で泣いた。

大泣きした。

オヤッサンごめんなさい。本当にごめんなさい。

泣きながら、「これが俺の今の現実か」と絶望した。

あんなに頑張って修行した、料理人の道が閉ざされてしまった。

この現実を直視せざるを得なかった。



オヤッサンが帰った後も、後悔とか、どうしようもない悲しさとか、いろんな感情が胸の中でぐちゃぐちゃに混ざった。

現実を受け入れる痛みと、虚無のリハビリ

その後、リハビリが始まったけど、医者が言った「指はリハビリ次第で動く可能性はあります」っていう言葉が、正直どこか他人事のように聞こえた。

元通りには動かないことがわかっているのに「頑張れ」なんて言われても。
板前としてもう包丁を握れない俺にとって、リハビリなんてどれほど意味があるんだろうって思っちゃったんだよな。

失ったものはあまりにも大きくて、取り戻せるものなんて正直どれだけあるのかっていうのが、心のどこかにあった。

そんな俺の入院生活は淡々と続いたんだ。

次回

第6話 動かない手と沈黙の部屋へ続く。

腕が動かない現実と、亡くなった友人への罪悪感を抱えたまま退院する主人公。
待っていたのは、壊れた人間関係と、静まり返った実家だった。
それでも、指先のわずかな動きが、新しい時間の始まりになっていく。

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atch-k | あっちけい
Visual Storyteller/Visual Literature
光は、言葉より静かに語る。

Nikon D500を肩に、街の呼吸を撮り歩き、
写真と言葉を一体化させた 写真詩(Visual Literature) を日々発表しています。

人の姿そのものではなく、
人がいた「余韻」や、空気に残る気配。
そこに、言葉を添えるのではなく、
言葉を写真の後ろに置く。
それが、私のVisual Literatureです。

本業は、物流業界での国際コンテナ船・輸出事務。
現場とオフィスの狭間で、
数字・書類・時間に追われながら、
「記録すること」と「伝えること」の重さを
長年、実務として見つめてきました。

その感覚は、
写真詩だけでなく、レビューやコラムにも流れ込んでいます。
体験を切り取り、構造を整え、
読み物として成立するノンフィクションへ昇華する。
事実を並べるのではなく、
判断と文脈で読ませる文章を心がけています。

長編ノンフィクション
『異世界に行けなかった俺の半生。』(全14章)は、
家庭崩壊、絶望、再起、そして静かな再生を辿った実話。
草思社文芸社大賞2025に応募し、
現在の写真詩表現の源泉を、すべて言葉として書き残しました。

写真詩と文章は、別々の活動ではありません。
どちらも、
光と静寂が立ち上がる瞬間を、記録する行為です。

atch-k | あっちけい
Visual Literature Artist
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