異世界に行けなかった俺の半生。第8話【社会復帰編】やっと掴んだ社会復帰のチャンス。そこは“地獄の入口”だった。

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― リハビリで手は動くようになった。けど、心はまだ止まってた ―
異世界に行けなかった俺の半生。第7話【再生編・後編】リハビリと人生の練習、動く手、動かない心。

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葛飾区にある大きな倉庫の4階。
そこを小さく間仕切りした事務所で、俺の新しい派遣の事務員生活が始まった。

そこで働くのは1人の女性主任、2人の女性フルタイムアルバイト、5人の女性パートさん。
女性ばかりで緊張したが、みんな優しくて、穏やかな人たちだった。

業務内容はひたすら顧客情報を、社内システムに入力してく。
それだけ。
電話応対の経験がないので、あらかじめ「電話応対は不可」としていた。

誰も俺の過去を聞かないし、ただ同じ時間に働く。それだけ。
それが、妙に心地よかった。
まるで、何も背負っていないただの人間に戻れたような気がした。

そして何より──
「俺なんかでも、事務の仕事で通用した」
その事実が、たまらなく嬉しかった。
初めて社会が、少しだけ自分を受け入れてくれたように感じた。

でも――人生って、優しさの裏に牙を隠してるんだよ。


数週間が経った頃。
その日、スーツ姿の恰幅の良い男性が事務所に入ってきた。

「おはよーっす」
みんなが一斉に立ち上がる。

聞けば、その人はこの部署の部長らしい。
この販売センターを統括している経営企画部の人で、
普段は別の自分の会社を経営しているという。

俺は派遣社員だから、当然そんな人と関わることはないと思っていた。
だけど、その日を境に、少しずつ空気が変わり始めた。

部長は、俺が想像していた会社の偉い人とは全然違った。
砕けた口調で、冗談ばかり言う関西人。
でも、どこか包み込むような雰囲気があった。

「お前、前は何やってたの?」
「料理人です。その後は数年ニートしていました」
「ニート!マジか!
 それじゃ今度俺の会社で飲むか!アテ頼むわ」

そんな他愛もない会話から始まって、
気づけば、部長が来るたびに飲みに誘われるようになった。

居酒屋でビールを片手に、
仕事の話、くだらない話、そして少しだけ人生の話。

久しぶりに、男として対等に話せる時間が楽しかった。
笑って、飲んで、また笑って。
その夜は、心の奥がじんわりと温かかった。

あの頃、やっと――
「社会に戻ってきた」
そう感じられるようになっていた。

ある日、部長に呼ばれた。
「ちょっと話があるんだ」

てっきり飲みの誘いかと思ったら、
その口から出てきたのはまさかの一言。

「うちの部署に主任として正式に入らないか?」

頭に雷が落ちた様な衝撃を喰らった。
「はい?」
声が裏返った。
何度も聞き間違いじゃないかと思った。

話を聞くと、今の主任が出産で長期離脱するという。
しかも、今の倉庫の取り壊しが決まっているため、
新しい拠点の立ち上げメンバーが必要らしい。

「お前みたいにマジメで、責任感あるやつに任せたいんだよ」

正直、泣きそうになった。
胸の奥がじんと熱くなった。

「ホンマは俺の代わりに部長にしようとしたんやけど、流石にあかんかったわ」
そりゃそうだろう。

元料理人。事故。ニート。何度も失敗してきた俺なんかを、
必要としてくれる場所がまた現れた。

派遣の人間が、派遣先に直接引き抜かれるなんて本来ありえない。
それくらいのことは、さすがに俺でも知っていた。
でも、あの日の部長の言葉が、どうしても忘れられなかった。
「お前を置いておきたいんだ」

その一言が、ずっと胸の奥で鳴り響いていた。

…だから、俺は行った。
派遣会社の事務所に。


その週の土曜日。
あらかじめアポイントを入れ、静かなビルのエレベーターを上がった。

「どうしても、お願いがあります」

震える声で、担当者に頭を下げた。
「このチャンスを逃したくないんです」

正直、断られると思っていた。
それでもいい。
今の俺は、もう逃げたくなかった。
あの頃の俺は、誰かに認められたことがただただ嬉しかった。

驚いたことに、派遣会社の担当者は怒るどころか笑って言ってくれた。

「主任…ですか。この年齢でこんなチャンス、なかなかあるもんじゃないよ。絶対、ものにしなさい。」

派遣会社が言うセリフじゃないよね(笑)
でも、心の底から感動した。
「代わりにウチの派遣会社を、これからも贔屓にしてね」
そう言われて、俺は深くうなずいた。

紹介型派遣に切り替えるとかじゃなく、何のペナルティもない転籍。

あの瞬間、人生って捨てたもんじゃないなって、
本気で思った。

晴れて社員として――いや、主任として初出勤した。
胸を張って新しい名札をつけた瞬間、
心の中で小さく誓った。

「もう、逃げない」

本気で頑張ろうと思った。
でも――

人生って、そう簡単にはいかないんだよね。

その日から、始まった。

女性主任と、女性フルタイムアルバイト2人による――
俺への徹底したいじめが。

最初は、なんか様子が変だな?くらいだった。
俺、何か失敗したかな?
そんな軽い違和感から始まった。
でも、明らかにおかしい。

アルバイトの女性2人に仕事の質問をしても、
「主任なんだから、自分で考えてください」

……いや、まだここに来て1ヶ月も経ってないんですけど。
主任って言っても、実質新人。
それなのに、助けを求めるたび、突き放されるようになった。

そして、主任の態度も変わり始めた。
些細なことで怒鳴られるようになったんだ。
たとえば、入力した漢字が一文字違っていたとか。
そんな小さなミスで、みんなの前で声を荒げられる。

事務所の空気がどんどん冷たくなっていくのが、肌でわかった。
まるで、見えない氷の中で息をしているようだった。

ある日の休憩時間。
弁当を食べていると、すぐ近くから話し声が聞こえてきた。

「あいつ、マジで使えないんだけど」
「電話応対すら、まともにできないとか、終わってるよね」
「アレが主任って、私〇〇さんいなくなったら辞めますよ」

……聞こえてるよ。
大きな倉庫を間仕切りで区切っているだけの事務所。
声なんて、丸聞こえだ。
いや、わかってる。
わざと、聞こえるように言ってる。

箸が止まった。
味もしない。
ただ黙って、冷めた弁当を口に運ぶしかなかった。
その一口一口が、まるで罰のようだった。

家に帰ってからも、考えた。
なんで、こんなことになったんだろう。

理由は――二つ、思い当たった。

ひとつは、倉庫の移転だ。
この場所を引き払うことが決まり、
倉庫業務をすべてアウトソーシングすることになっていた。

当然、業務の流れそのものを変えなきゃいけない。
そして、その業務改革を任されたのが俺だった。

……そりゃ、面白くないよな。
長年この現場を守ってきた人たちからすれば、
ポッと出の新人が指図するなんて、腹立つに決まってる。

もうひとつは、主任の長期離脱。
その人が抜けたあと、俺が代わりの主任として残る可能性が高い。
つまり、彼女にとって俺は――
自分の職場を奪うかもしれないだった。

気づけば、誰も俺に話しかけなくなっていた。
頼んでも、手伝ってくれる人はいない。

この倉庫に来た時のあの穏やかさは既に無かった。

書類の山と、無言の空気だけがそこにあった。
俺の存在だけが、世界から切り離されたように感じた。

部長がいないときを狙ってくる、徹底したいじめ。

部長が事務所にいる間は、誰も何も言わない。

手伝う「そぶり」さえみせる徹底ぶり。
しかし、その目は冷たい。

でも、部長が出ていくと、空気が一変する。

まるで合図でもあったかのように。

パートさん達は、主任やフルタイムアルバイトを恐れてか、仕事の話以外はしてこない。

部長には何度も「何かあったら俺が相談に乗るから」と言われていた。
でも、言えなかった。
期待を裏切る気がして。
俺を救ってくれた部長の笑顔を、悲しませたくなかった。

やがて、俺はひとりで電話以外、すべての仕事を抱えるようになった。

入力、伝票の印刷、ピッキングリストの出力、
梱包、ラベル貼り、出荷――。

気づけば、毎晩終電ギリギリまで働いていた。

誰もいない倉庫の冷たい光の下で、
キーボードを叩く音とラインプリンタの音だけが響いていた。

リハビリで復活したはずの指先はしびれ、腰は痛み、
頭の中では何度も「なんでこんな事になったんだ」と呟いていた。

でも、帰る勇気もなかった。

まだ信じていたんだ。

いつか誰かが、俺の頑張りを見てくれるかもしれないって。

誰も見ていなくても、「逃げなかった自分」だけは裏切りたくなかった。

心から応援してくれている家族を、裏切りたくなかった。

その夜、帰りの電車で、涙が止まらなかった。

誰も見ていないのに、顔を上げることができなかった。

周りには、お酒を飲んだであろう楽しそうなサラリーマン。

この人達は、毎日楽しく仕事しているのかな。

……俺は、辛いです。
本当に、辛いです。

翌日

仕事中、顔中に蕁麻疹が出た。

鏡を見て、自分でも驚いた。

「ストレス」

近くの病院へ行き、薬をもらって会社に戻った。

そこには、何も進んでいない業務。
机の上には、捨てられた俺の筆記用具。
そして――完全な無視。

心が、折れた。
涙が出たけれど、歯を食いしばって、その日の仕事をなんとか終わらせた。
終電には、間に合わなかった。

寒い倉庫で、ひとり。
音のない夜の中、ただ座り込んでいた。

「なんで俺が、こんな目に……」
自問しても、答えなんて出ない。
理不尽すぎる。
でも、逃げるわけにはいかなかった。

頑張って、我慢して、なんとか続けようとした。
けど――

数日後。
ついに、布団から起き上がれなくなった。

体は動くのに、心が動かない。
会社に行こうとするたびに、胃が締め付けられる。
食欲も、眠気も、何も感じない。

嘔吐。

俺は休暇を取った。
「体調不良」という名の、逃避だった。

電話口に出た女性主任が冷たく言った。
「残った仕事は、部長にやってもらいますから」

部長の声は、もう俺には聞こえなかった。
最後に会ったのは、いつだっただろう。
あの優しい笑顔も、もう思い出せなかった。

「すいませんでした」

頭の中はぐちゃぐちゃで、涙が勝手に出てきた。
辞めることを考えながら、ただ、天井を見つめていた。

なんで、あんなに頑張ったのに。
なんで、こんな結末なんだろう。

こうして俺の社会復帰は、静かに終わりを迎えた。
その静けさが、何よりも残酷だった。

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心が終えた俺が向かう先は「あの倉庫」
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――次回、第9話【社会復帰編・後編】

異世界に行けなかった俺の半生。シリーズ

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スピンオフ作品

atch-k | あっちけい
Visual Storyteller/Visual Literature
光は、言葉より静かに語る。

物流業界で国際コンテナ船の輸出事務を担当。
現場とオフィスの狭間で働きながら、
「記録すること」と「伝えること」の境界を見つめ続けてきました。

現在は、体験を物語として届ける“物語SEO”を提唱・実践。
レビュー記事を単なる紹介ではなく、
感情と構成で読ませるノンフィクションとして再構築しています。

一方で、写真と言葉を融合させた「写真詩」シリーズを日々発表。
光・風・静寂をテーマにした作品群は、
#写真詩 #VisualStorytelling タグを中心に多くの共鳴を生んでいます。

長編ノンフィクション『異世界に行けなかった俺の半生。』は14話完結。
家庭崩壊・挫折・再起を描いた実話として、
多くの読者から支持をいただきました。


あっちけい|Visual Literature / 物語SEO創始
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