異世界に行けなかった俺の半生。第10話【崩壊編】崩れゆく会社の中で、俺が見た“男の背中”

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― 涙と笑いの中に、“生きる意味”が戻ってきた日 ―
異世界に行けなかった俺の半生。第9話【社会復帰編・反撃】倉庫で泣いて、笑って、また立ち上がった日。

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電話地獄の朝

朝いちばん。
神田のオフィスに入った瞬間の空気が違った。

外線の呼び出し音が、途切れない。
「おたく、ふざけてんの!?」
「まだ届かないんだけど!」
怒鳴り声と泣き声が、PCモニターの明滅と重なっている。

誰かが小さく「まただ…」と呟いた。
電話回線は、応対中の赤いランプで埋まる。
隣の席では、電話を切る間もなく次の着信。
音の洪水。人の声。機械音。

受注センターは、いまやクレームの最前線だった。
本来なら、処理を担うのはコールセンター。
けれど、その回線はすでに限界を超えている。

受話器の向こうでは、
「すいません。なんていうのは聞き飽きました。
もういいです!賠償してもらいますからね!」
と女性の声が途切れ、プツンと切れる音。

俺は、一歩だけ後ろに下がる。
視界の端で、誰かの肩が小さく震えていた。

――地獄って、音がするんだな。

耳の奥がジンジンする。
蛍光灯のチカチカが、やけにまぶしい。
目の前の世界が、まるでノイズの塊みたいに揺れていた。

品川エリアの崩壊

昼前、部長に呼ばれた。
「ちょっと来い。東京エリア、やばいことになっとる。」

ドア越しに、コールセンターの責任者が電話を握りしめていた。
顔色が悪い。
机の上には、クレーム一覧のプリントが積まれている。
どれも「届かない」「遅い」「破損」。

「品川の店長、今週から来てないらしい。」
「え?」
「無断退職や。しかもドライバーが三人、一緒に辞めとる。」

一瞬、息が止まった。

配送ルートに穴が空く。
それだけで、東京全体の物流は止まる。
品川を起点に走るコースがいくつもあるからだ。

「人が抜けたら、荷物は動かん。」

部長の言葉は、淡々としていた。
けれど、その声の奥には、深い疲労が滲んでいるようだった。

システム上では「出荷済」と表示されている荷物が、実際には倉庫に積まれたまま。
客は“届かない荷物”を待ち続け、
コールセンターは“届かない謝罪”を繰り返す。

「現場、見てきます。」
そう言って立ち上がると、隣の席で電話が鳴った。
またクレームだ。

蛍光灯の白い光が、目に刺さるように眩しい。

現場突入

品川の倉庫に着いたのは、昼過ぎだった。
いつもなら、フォークリフトの音や笑い声が響く時間。
けれど、その日は違う。

静まり返った空気。
風すら動かない。

扉を開けた瞬間、
埃と湿気の混ざった匂いが、鼻の奥を刺した。

天井の蛍光灯は、半分が切れていた。
光が届く場所と、届かない場所がくっきり分かれている。

暗い。冷たい。重い。

そして――そこに、山があった。

積み上がる段ボール。
床が見えないほど。
崩れそうな塔みたいに、四方へと連なっていく。

ひとつ、箱のラベルを見た。
“出荷済”。
その横の箱も、そのまた奥の箱も、全部同じ。

「……これ、全部止まってるのか。」

声に出してみたけど、誰も答えなかった。
返ってきたのは、自分の声の反響だけ。

俺は、足元の伝票を拾った。
日付は三日前。
納期の欄には“至急”の文字。

倉庫の片隅に、
開けかけのカッターとペットボトルが置きっぱなしになっていた。
その持ち主は、もう来ない。

荷物の山に手を伸ばす。
梱包材の表面は、ほんのり湿っている。
止まった空調のせいだ。

“ここだけ、時間が止まってる。”

胸の奥ではなく――
体の芯が、じわっと冷たくなった。

とにかく荷物を動かさなければ

コールセンターと連絡を取りながら、
ヘビークレーム案件から順に処理を始めた。

それにしても件数が多すぎる。
でも、やるしかなかった。

まずは宛先を確認して、区域ごとに仕分けしながら伝票を貼り直す。
バイク便を手配し、配送可能な分だけ出す。
残りは翌朝以降に回す。

翌朝?誰が配送するんだ?
ハハッ。

作業用の蛍光灯が、倉庫の中央だけを照らしていた。
その光の下で、段ボールを積み替える音が響く。
ガムテープを切る音。
バイク便のエンジン音。
誰かの小さなため息。

私ひとりのはずなのに、
その小さなため息だけが、まだこの倉庫に残っていた。

時計を見る余裕もない。
ただ、ひとつでも多く動かすことだけを考えている。

荷物を抱えて外に出た瞬間、
心地よい風が顔に触れた。
少しだけ、冷たくて気持ちいい。

外の空気を吸い込むたびに、
体の中の“重さ”が抜けていく気がする。
けれど同時に、心の奥底が、ひやりと沈んでいった。

「これ、全部届け終わるまで、あと何日かかるんだろうな。」

思わず呟いた。
返事はない。

携帯のライトで足元を照らす。
シャッターの柱の影が、歪んで伸びていく。

公開していないはずの店舗で、固定電話が鳴った。
またクレームだ。
声のトーンでわかる。
“怒り疲れた人”の声。

「申し訳ありません。こちらで対応いたします。」
それしか言えない。

息を吐くたびに、空気が白く濁っていく。
夜の気配が、ゆっくりと倉庫を包んでいた。

崩壊の理由

翌日、残っているドライバーが出発したタイミングを見計らい、品川エリア店へ。

なぜドライバーが出発した後なのかって?
主任というちっぽけな立場でも、俺は本社機能に近い「経営企画部」の人間だ。
下手にドライバーと対立するわけにはいかない。

夜が明けても、倉庫の中は暗いままだった。
窓から射し込む光が、埃の粒を照らす。
小さな欠片が、ゆっくりと宙に舞う。

書類と伝票が雑然と積み上がった店長の机。
その片隅で、一枚の紙切れを見つけた。
配送員の置き手紙だった。

「もう無理です。体が限界です。」

文字が震えていた。
泣きながら書いたのかもしれない。

別の机の上には、伝票と一緒にメモが置かれている。

「給料、いつ上がるんですか?」
「数字ばっか見てないで、現場なんとかしてください。」
「一人が配送するエリアが広すぎるし、荷物が多すぎます。」

汚れたメモ帳の端には、指の跡が残っていた。
黒く、油の染みた指。

現場の声は、誰にも届かなかった。
いや、届いていたのかもしれない。
それでも、誰も動けない。

上も、現場も、疲れきっていた。
気づいたときには、もう手遅れだった。

「崩壊の原因は、システムでも、人手不足でもない。」
「希望が、消えたんだ。」

倉庫の奥に差し込む光が、
段ボールの影をゆっくりと伸ばしていく。
その影を見つめながら、
俺は初めて「会社の終わり」を実感した。

社長との出会い

部長に呼ばれたのは、倉庫の片付けが終わった夜だった。
「神田の社長室、ちょっと来てくれ。」
電話越しの声は、いつもより少し低い。

夜の神田は静かだ。
人通りの少ないオフィス街に、
ビルの明かりだけが点々と灯っている。

オヤッサンのあの店も、満席のようだった。
笑顔で顧客と話すその表情が、なぜか、とても遠く感じた。

社長室のドアをノックすると、
「おう、入ってええで。」
と、低くて落ち着いた声が返ってきた。

中には、部長と、見慣れない男がひとり。

スーツの上着を脱ぎ、上等な仕立てのワイシャツの袖をまくっている。
年齢は四十代後半くらい。
髪は短く、目は鋭いけれど、どこか優しさを感じた。

それが、初めて会う社長だった。

「お前か、東京の受注センターの新しい主任は。
〇〇(女性主任)は育児休暇に入ったらしいな。」

一瞬、何て返せばいいかわからなかった。
思っていたよりも、ずっと低く、静かな声。
威圧感はない。
けれど、言葉には確かな“重さ”があった。

「俺はこれまで、何度も会社の危機を経験してきた。
今、会社に金はない。
けど、必ず金は集めてきた。
な、絶対潰さんで。」

その瞬間、息を呑む。
“言い方”が本気だった。
強がりでも、根性論でもない。
人の人生を丸ごと背負う覚悟の声だ。

横で、部長が何も言わずに頷いている。

「……◯ちゃん、あなたが社長でよかったです。」
口から自然に出た言葉だった。

……◯ちゃんて!
こいつ、マジでちゃん付けしやがった!

社長は笑った。
「誰が◯ちゃんやねん。お前はほんまに…。
ま、俺なんかまだまだやで。自信はあるけどな。」

その笑い方が、妙に優しい。
豪快でもなく、誤魔化しでもない。
“信じられる大人”の笑いだった。

飲みの夜

それから、社長と部長と三人で飲みに行くことが増えた。
店はいつも同じ。
神田駅近くの、古い大衆居酒屋だった。

暖簾をくぐると、焼き鳥の煙とタレの匂いが漂う。
カウンターには常連が並び、
テレビからはプロ野球のナイター中継。

社長は、いつも最初の一杯を頼むと、
「おう、今日も生きとるだけでええ日やな」と笑う。

部長は無言でグラスを傾けた。
その横で、俺は何を話せばいいのかわからないまま、
ただ黙ってビールを口に運ぶ。

少し酔いが回った頃、社長が俺の方を見る。

「お前、仕事つらいやろ。」

いきなりの言葉に、少し詰まった。

「……まぁ、いろいろあります。」
「そらそうやな。けどな、あきらめたら終わりや。
俺らみたいなんは、あきらめた瞬間に全部止まる。」

社長はそう言って、笑った。
けれど、目は笑っていない。

その夜、初めて社長の目の奥に“疲れ”を見た。
誰よりも強く見えた人が、
誰よりも弱っている。

気づいたら、俺は口にしていた。

「……俺が、何とかします。」

その瞬間、社長が目を細めた。
部長は、少しだけ口元を緩める。

「お前、ほんまにええやっちゃな。」
社長はそう言って、静かにグラスを上げる。

氷が当たる音が、カウンターに小さく響いた。

二つの道

会社の混乱は、日を追うごとに広がっていった。
品川だけじゃない。
練馬、目黒、板橋。
どこも同じように、崩れ始めている。

その頃から、社長と二人で飲む夜が増えた。
神田に来るたび、「軽く行くか」と言って、居酒屋や焼肉屋に誘われる。

最初は仕事の話。
けれど、グラスが進むにつれて、
社長は家族のことや、昔の苦労話を語るようになった。

「俺はな。トラック一台、裸一貫でここまで来たんや。」
「金はない。でも、俺の代で会社を終わらせたくはない。」

そう言って笑うその横顔が、少しずつやつれていく。

――社長も、限界に近い。

そんなある日、部長に呼び出された。
「わかってると思うけど……この会社、もう危ないかもしれん。」

部長は、珍しく真顔だった。
「お前、ウチ来るか?」

その言葉に、何も返せなかった。

「お前みたいな真面目なやつ、ウチの管理職で欲しいねん。」
「給料も今より上げる。少しだけどな」

懐かしいな。
派遣だった俺を誘った時と、同じセリフだ。

すぐには答えられなかった。
社長の顔が浮かぶ。

あの人は、いつも“孤独”だった。
誰も本音を言えない空気の中で、
一人で会社のすべてを背負っていた。

――一人でいることの辛さは、俺が一番わかっている。

だから、決めた。

「……すみません。俺、もう少し社長のそばにいます。」

部長は、少しだけ苦笑いを浮かべた。
「お前らしいな。」

それだけ言って、立ち上がる。

帰り道。
ビルの谷間を抜ける風が、やけに冷たい。
街の灯りが、滲んで見えた。

社長の退場

受注センターの業務は、あの日を最後に止まった。
みんなに休暇を出し、
「必ず社長が復活させるから」とだけ伝えた。

電話の鳴らないオフィスは、静かすぎる。
モニターの光が、妙に眩しい。
机の上には、誰かのマグカップと、書きかけのメモが残っていた。

誰も悪くない。
それでも、みんなが少しずつ消えていく。

――その静けさが、いちばんつらかった。


ある日、社長に呼ばれた。
神田の事務所には、俺と社長だけ。
その日の社長室は、いつもと少し違う空気だった。

机の上には、書類の束。
社長はそれをゆっくり整え、
小さく息を吐く。

「この会社は、もう事業を維持できひん。
 申し訳ない。」

その声は静かだった。
でも、震えていなかった。

「せやけどな、従業員の生活は守る。
 お前が受注してる商品は子会社化して、別の資本に引き継ぐ。
 借金は全部、この会社と一緒に俺が持っていく。
 倒産はせえへん。」

息が止まった。
それは、敗北の宣言じゃない。
覚悟の言葉だった。

この人は――
この状況でも、まだ前に進もうとしている。

社長は、誰よりも強い。
けど、たぶん――それが、あの人の唯一の弱点だったのかもしれない。

自分の限界を、部下の限界と同じだと思っていた。
「俺にできるんやから、お前にもできるやろ」
そう言って笑うその顔は、“信じる人”の顔だった。

でも、人はみんな、あの人みたいには強くなれない。
あの人の“強さ”が、誰かにとっては“重さ”になっていく。

その優しさも、責任感も。
そして、全部ひっくるめて――
あの人の失敗は、それに気づけなかったことだった。

「……頼んだぞ。」

その言葉だけ残して、
社長はドアの方へ歩き出した。

数歩進んで、ふと足を止める。

「おう。そういえば、アレの件頼んだぞ。」

少しだけ振り返り、
ほんの一瞬、笑ったように見えた。

「はい。」

大きな背中が、少しだけ小さく見える。
でも、足取りはしっかりしていた。

誰もいない廊下に、
コツ、コツ、と靴の音だけが響く。

見送ったのは、俺だけだった。

「ありがとうございました。
 俺はあなたを、尊敬しています。」

声に出したのか、心の中だったのか。
それは、自分でもわからない。

ただ、胸の奥で何かがゆっくりと消えていく。

外はもう、夕暮れ。
街の灯りが点き始めていた。
ビルの窓に映る空が、やけに赤い。

あの日を境に、
俺の中の「信じる」という言葉の意味が変わった。

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atch-k | あっちけい
Visual Storyteller/Visual Literature
光は、言葉より静かに語る。

物流業界で国際コンテナ船の輸出事務を担当。
現場とオフィスの狭間で働きながら、
「記録すること」と「伝えること」の境界を見つめ続けてきました。

現在は、体験を物語として届ける“物語SEO”を提唱・実践。
レビュー記事を単なる紹介ではなく、
感情と構成で読ませるノンフィクションとして再構築しています。

一方で、写真と言葉を融合させた「写真詩」シリーズを日々発表。
光・風・静寂をテーマにした作品群は、
#写真詩 #VisualStorytelling タグを中心に多くの共鳴を生んでいます。

長編ノンフィクション『異世界に行けなかった俺の半生。』は14話完結。
家庭崩壊・挫折・再起を描いた実話として、
多くの読者から支持をいただきました。


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