
こんにちはatch-kです。私のエッセイへようこそ。
ちょっと今回は挑発的な題名になってしまった。
もし、気を悪くされた方がいたら申し訳ない。
まあ今回話したいのは、カメラを始めた自分の事なんだ。
少しでも面白そうだな、と感じていただけたら最後まで読んでもらえると嬉しい。
おっさんのiPhoneの写真フォルダは花だらけ
強い雨が降り注ぐ土曜日の朝、傘を差した私は庭に咲く雨に濡れたツツジの花を撮影していた。
カメラのファインダーを覗き込み、花のおしべにピントを合わせる。
「カシャッ」
一眼レフ特有のシャッター音が静かな庭に響き、私は満足げに微笑んだ。
iPhoneの写真フォルダを開けば、そこには花の写真であふれている。
サザンカ、スイセン、梅、桜、花桃、菜の花、ネモフィラ、藤…季節の移ろいとともに、私のカメラは様々な花を追いかけてきた。
写真を始めた当初、名所の風景や夜景、建造物など、いわゆる「映える写真」に挑戦するつもりだった。
しかし気づけば、私のレンズは自然と花に向けられるようになっていた。
おっさんは花ばかり撮影している

ある日、ネットを眺めていると、「おっさんは花ばかり撮影している」という記事に目が止まった。
記事によれば、写真初心者の中年男性の多くが花の撮影にハマるという。
「被写体が動かず、近所で簡単に見つけられる」「色彩が美しく、技術が未熟でも見栄えがする」など、様々な理由が挙げられていた。
苦笑いしながらも、自分がまさにその「花撮りおじさん」の一人であることを認めざるを得なかった。
しかし、花の撮影に夢中になる理由はそれだけじゃない。
花には独特の魅力がある。
たとえば、雨に濡れた一輪のツツジ。
水滴が光を屈折させ、花びらのピンクが一層鮮やかに浮かび上がる。
その美しさを捉えた瞬間、満足感が身体中を駆け巡る。
あるいは、アスファルトの隙間から生えた名も知れぬ小さな花。
厳しい環境の中でも、しっかりと根を張り、花を咲かせる健気さ。
そんな姿に心打たれることもある。
「おっさんは花ばかり撮っている」という言葉には、少し揶揄するニュアンスがあるかもしれない。
しかし、私は気にしない。
花の撮影は楽しい。それだけで十分。
カメラが趣味のおっさん

思えば、写真という趣味は自分自身との対話でもある。
何に魅力を感じ、何を美しいと思うのか。
露出、角度、背景、光の向き、被写体との距離。
どう撮ったらこの花が一番綺麗に見えるのか。
それを追い求める過程で、自分の内面と向き合うことになる。
私にとって花は、理想の被写体だ。
一見同じように見える花でも、一つとして同じものはない。
同じ花を別の日、別の時間に撮影しても、光の加減、角度、背景、すべてが一期一会の出会いとなる。
妻や同僚から「もっと人物や風景も撮ったら?」と言われることもある。
もちろん、いずれはチャレンジしたい。
しかし今は、この花との対話を深めていきたい。
季節の移ろいとともに変わる花々。
春の桜、初夏の紫陽花、真夏のひまわり、秋のコスモス、冬の椿。
花のカレンダーに合わせて撮影スポットを巡ることは、一年を通じての私の小さな旅行でもある。
撮影を始めてから、以前は気に留めなかった道端の小さな花にも目が留まるようになった。
日常の風景が、より豊かなものに変わっていく。
それは写真という趣味がもたらした、予期せぬプレゼントだと感じる。
最近では、撮りためた写真をSNSにアップすることも楽しみのひとつになっている。
「綺麗な花ですね」といったコメントをもらうと、そのまま次の撮影に出かけたくなる。
最後に
花の写真ばかり撮るおっさん。
そのレッテルを受け入れつつも、私は自分の感性を信じて、これからも花を追いかけていくだろう。
結局のところ、趣味っていうのは自分自身が楽しめればいい。
他人の評価や一般的な価値観に縛られる必要はない。
自分の心が喜ぶ方向へ素直に進むこと。
それが本当の意味での趣味の楽しみ方なんだと思う。
今日も新しい花を求めて、D500を入れたカメラバッグを肩にかけ、家を出る準備をする。
外では、まだ見ぬ花との出会いが待っている。
仕方ない、行くしかないのだ。
おっさんは花の撮影が好きなのだから。